原爆とボクたち

外国人からの質問に答える

   なぜ日本人はアメリカ人を憎まないのか?

2004年10月改訂
荒谷 勲/HIP会員

1.戦争の結果についての認識の差
(a) 戦争を多く経験した欧米人 
* 勝敗は時の運であり、負けた時でも沈着に耐えて、祖国の復興と、敵への復讐を誓う。
* 戦争のマナー(非戦闘員を攻撃しない・捕虜を虐待しない・捕虜になった時の心得の教育)
ができている。
* 1945年に日本が負けた後、日本の国民感情が一転したが、西欧諸国ではそのようなことはない。 
(b) 日本人の認識
* 近代戦争の経験が少なく、負けたことがなく、不敗を信じていた。
* 戦争のマナーの教育も不十分で、捕虜を軽蔑して虐待した。非戦闘員も虐待した。
* 初めての敗戦で大きなショックを受けた。負けた時の対応を考えたこともなく、どうして良いか分からなかった。

2.占領軍の行為・教養・思想
* 日本人は『鬼畜米英』と教えられていたが、占領軍は一般に陽気で態度が良かった。
従って深刻な問題はなかった。占領軍が民主主義・人道主義の教育を受けた軍隊であったことは、日本にとって幸いであった。
* 占領軍の進駐が終戦後2−3ヶ月に始まり、双方とも落ち着きを取り戻していたことも幸いであった。
* 旧敵アメリカから多くの援助物資が贈られて、日本人は驚きながらも感謝した。
* 『本土決戦/すなわち死の覚悟』から解放されて、日本人は平和と自由の有り難さを悟った。
それをもたらせたのはアメリカである。負けてよかったという人もあった。
* ソ連は北海道を分割占領することを主張したが、アメリカは拒否した。ソ連に分割占領されていたら、日本でも東西ドイツ・南北朝鮮のような民族分断の悲劇がおきていたであろう。

3.占領軍の政策
(1) 心理操作(NHKラジオ番組『真相はかうだ』、原案は占領軍が作成)
『太平洋戦争の真相を国民に知らせる』『正義の米英民主主義が軍国日本の悪を屈服させた』
が放送された。多くの日本人はこれを信じて、アメリカ人に対する感情が、『鬼畜米英』
から『あこがれのハワイ航路』(当時の流行歌)にコロリと変わった。この奇妙な変化は
日本人の精神構造そのものを問題とする社会心理学者もいる。
これまでの軍国主義を反省するあまり、自分の国の国旗・国歌さえ嫌悪する人もあった。 

(2) 占領政策(賢明な占領政策)
民主主義・自由主義・平等の政策、具体的には女性への参政権付与、農地改革促進、労働基本権の確立、国民主義・基本的人権・平和主義を掲げた憲法の制定など、一連の占領改革は当時の日本人に歓迎された。
日本の国民感情を考慮して、天皇制(縮小軽減されたが)を維持した。

(3) 情報統制 (愛国心・復讐をあおる映画・演劇・書物の禁止)
戦争中の歴史・原爆の被害などの情報は統制された。
戦後に育った子どもは、日本が戦争をしたことさえ知らなかった。
歌舞伎の忠臣蔵が、敵討ちを題材にしているために上演禁止になりそうな時に、GHQの中の日本文化の理解者のおかげで禁止を免れた。

(4) アメリカ文化の影響(アメリカ映画と音楽の氾濫)
戦後間もなく、焼け跡に急造されたバラック小屋の映画館で、豪華なアメリカ映画を見て、
日本人観客は、『このようなすごい国とよく戦争したものだ』と痛感した。総天然色映画の『風とともに去りぬ』が戦争中に作成されたと聞いて、ますますアメリカの実力を痛感した。アメリカを憎むどころか憧れた。
戦後5年くらいは、ラジオ番組はNHKの1本だけであったが、占領軍向けの放送番組を聞くことができた。私はジャズ・ダンス音楽・今週のヒット曲を楽しんだ。
特にOne Night Standという番組が好きであった。これは有名なダンスホールからの中継録音で、夜10時から放送された。

4.宗教的要因(仏教、特に広島の主流の浄土真宗、の信条)
原爆で負傷あるいは命を失っても、運命であると諦める。
運命は前世での行為で定まる。因果応報。


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