旧制広島県立第二中学校23期生 ポプラ会のホームページ
2017年第72回旧制県立広島二中原爆死没者慰霊祭
2017年の夏は
72年前のあの日の暑さがまた来た思いがする酷暑の連続である。
それに、ホームページ担当の筆者が冒頭の挨拶をする羽目になり、取材の段取りがすっかり狂ってしまい、
貴重な追悼の挨拶の音声や、写真など全く取れていないので、今回は新出兄の貴重な写真が
唯一の頼みの綱である。兄への感謝と皆さんへのお詫びをさせて頂きたい。
この7月7日、国連で、被爆者の長年の悲願である核兵器禁止条約が採択された。核保有国が賛成し
いないなど、実効性に疑問を持つ者もいるが、一歩でも前に進んだことは事実で、さらなる努力を被爆者は
しなければならないと感じている。
永年車いすで不自由な身ながら必ずこの慰霊祭には追悼の辞を頂いていた遺族会会長の檜田仁さまがなくなれたとのことで、今年は遺族会としてのあいさつはなかった。段々と寂しくなるが、無常な世の常か。
(写真:新出、文:塚本)
 
慰霊祭祭壇
 
司会の生徒さん
 
塚本あいさつ(クリックで原稿が読めます)
 
平川同窓会会長追悼の辞
 
豊田観音高校校長追悼の辞
 
生徒会会長追悼の辞
 
古田校長作悼歌朗詠「吉永同窓会副会長」
 
校歌斉唱(観音高校およびOB,OG合唱団)
 
焼香
 
花輪(今年は卒業期毎ではない)
 
8月5日の羽村市青梅市中学生ピースメッセンジャー活動の生徒たちが供花してくれたもの(薄紫の包装紙)
 
献水
 
故人を偲んで
 
左から戸谷、浅野、山本
 
牡蠣船かなわ
 
後列左から 新出、刀禰、山本、浅野、 岡田
前列左から 栗栖、塚本、大田、小畑、久保田 
注:「岡田」さんは大竹出身の広島二中一年生岡田彰久君の弟だそうです(新出兄より)
 

2016年旧制県立広島二中原爆死没者慰霊祭
2016年の旧制広島二中の原爆慰霊祭は今までと名目上若干異なっているいるように思えた。
一番の変化は読経がなくなったことであろう。今までは、前半が慰霊祭、後半が遺族会主催の法要であったものが慰霊祭に1本化されていた。各代表の挨拶に共通していたのは、今年5月27日、現職の米国大統領として初めて、原爆慰霊碑に花輪を捧げ、核兵器廃絶の宣言をしたことに触れていた事であろう。
今年の23期生の参加は、新しく戸谷君の参加を加えて、浅野君、太田君、小畑君、刀禰君、久保田君、今回代表挨拶をした
国重君、山本定男君、新出君、塚本と、いつもになく大勢であった。

慰霊祭のあと恒例のミニ同期会をかき船「かなわ」で行った。係留場所が昨年より上流になっているので少し戸惑ったが
、内装がすっかり洋風に改められて、新しくなっていた。

   (写真:新出、塚本、録音、文:塚本) 
 
慰霊祭祭壇
 
司会 吉岡 小織さん

  二米高さ白木製慰霊塔(2015慰霊祭記事参照)
 
国重昌弘君追悼の辞

 
中本 弘 同窓会名誉会長
 
大原 隆 観音高校校長
 
孫 梨沙 生徒会会長

 
吉永同窓会副会長悼歌朗詠(第五代二中校長古田 貞衛作 石碑参照)

 
校歌合唱

 
遺族会代表 檜田 仁 会長

 
焼香(途中で変な声がはいりますが勘弁してください)

 
22期23期24期の花輪群
   
小畑                           浅野、久保田
 
大田、  戸谷    浅野
 
ミニ同期会
左前から奥へ:久保田、新出、国重、浅野,大田
右前から奥へ:刀禰、山本、戸谷、塚本、小畑

 

第70回広島二中原爆死没者慰霊祭
広島が人類初の原子爆弾で壊滅的被害を受けてから、この8月6日で70周年になる。
14歳で被ばくして不思議な運で今日まで生き延びさせてもらった23期生も83,4歳になった。
浅野温生君の追悼の辞に縷々述べられているように、被爆体験の継承と核廃絶への努力に向けて
次世代の人たちに引き継ぐ努力を続けて行きたいものでものである。浅野君が主催者から
特に指名されて慰霊祭の冒頭に追悼の辞を述べたことは我々23期生を代表してとの意味が大いにあると考えられ、
23期生全員が、改めて残された人生の中で与えられた使命の大きさを自覚して達成に精いっぱい務めていきたい。
8月5日にはトピックスのページに掲載しているように、東京の羽村市、青梅市の中学生に
7人の23期生が被ばく証言をした。彼らは非常に熱心に話を聞き、質問をした。
8月5日1日早く慰霊碑にお参りして献花してくれた。
長年お経のお勤めをしていただいていた三光寺様がお亡くなりになったため、
今年は読経の中での焼香は、無かった。後任には、同窓会副会長で観音院副住職の大西博臣様が当たられることになっているとのことである
今年の慰霊祭参加者は、浅野、新出、大田、国重(お孫さんと共に。これも継承運動のの一つか)、
久保田、小畑、山本君等と、塚本の姿が見えた。慰霊祭後、通例のかき船でのミニ同期会を持ったが、
証言掛け持ちの同期生も多く全員とはいかなかった。               
(写真 新出、録音、文塚本)

     
浅野君追悼の辞(クリックすると全文章が読めます)



最初の慰霊碑(占領軍兵が引き抜くので杭に縛り付けてある。佐々木雄一郎氏撮影)
(1953年)

追悼の辞 平川勝洋同窓会会長

追悼の辞 大原 隆校長

追悼の辞 生徒会副会長 陶山 佳奈江さん


校歌合唱


檜田仁遺族会代表あいさつ

   
    東京都羽村中学校、青梅中学校 供花        23期生花輪 今年は24期生の花輪が70周年らしい                          

会場の全景 千羽鶴が中央に見える
   
身内の生徒の名前を見つけて撫でてあげている遺族たちとペットボトルの水の心遣い
   
      国重君の孫、国重、久保田、小畑                左2番目大田、塚本、   右端 浅野      

山本(定)

  後列左から     浅野、      小畑、    新出
            前列左から  塚本   久保田       大田                      
ミニ同期会も年々減少の傾向がとまらないのは寂しい。
 

  
 第69回広島二中原爆死没者慰霊祭
              
 (平成26年8月6日)
  1971年以来43年ぶりの大雨の8月6日であった。広島の8月6日は晴天の特異日で
それを知った米軍が広島の8月6日をターゲットにしたという説を聞いたことがある。
事実毎年あの日のかんかん照りに悩まされてきたので、今年も覚悟していたのだが、完全におもわくが外れた。
しかし、主催者の観音高校生徒会を始め関係者、遺族の皆様など、皆予定通り式次第を雨に濡れながら、進められた。
犠牲者に対する思いの深さがあればこそのことと、感銘を受けた。23回生の出席は今回は、半減して6名であった(ミニ同期会参照)。
いつもなら蝉時雨で、追悼の辞なども聞き取りにくいくらいであったが、今年は静かであった。
一人3役で、録音中に写真を撮るため慰霊碑の前に垣を越えた時つまずいてそばの人に助けられたとき、
思わずお礼の声が出て、遺族代表の方の悼辞の邪魔をしてしまった。お詫びしたい。
今回の慰霊祭で感じたことは、高齢化に伴う世代交代が進んで居ることであった。
遺族のかたと思われる中年の上品なご婦人が問わず語りに、慰霊碑の裏の犠牲者の生徒の名前を指さしながら、
これは、私の叔父なのですが、親御さんが体調がわるく代わりに、お参りしてくれと頼まれたのですと話された。
翌朝の中国新聞に写真こそ無かったが氏名入りで同じお話が出て居た。当方は、写真を撮っていたので出来れば
差し上げたいとおもうのだが、ホームページに無断での掲載するのはプライバシーに抵触するおそれがあるので、
新聞記事だけ掲載させて貰う。申し出があればいつでも写真は差し挙げたいと思っている。遺族代表のかたも今年は、
車いすになって居られた。例年の古田校長の悼歌の吟詠も無かった。今年は70回忌になるとのことだがいつまで法要が続けられるか・・・。
しかし、毎月6日には三光寺の住職さんが、お経を挙げて頂いているとのことで、若い観音高校の生徒会の諸君が
慰霊祭を引きついでくれている事と併せ思うと安心と感謝の気持ちに胸に迫るものを感じた。
いつまでも忘れてはならない悲惨な歴史なのだから。
                     (記、写真、録音、塚本)      
               

                    慰霊祭の始まる前の情景

                大原 隆 観音高校校長の追悼の辞
▽のスタートボタンを押すと音声が出ます。

                  二中、観音高校校歌合唱
▽スタートボタンを押すと合唱が始まります。

                      三光寺住職様

               遺族代表 遺族会会長 桧田 仁様
▽スタートボタンを押すと音声が流れます。雑音が入るのをあらかじめお断りします。
   
確か記事のひとから、同じお話を聞いたと思う。
右の写真を撮ってあるので、手立てがあれば、
お渡したいと思って居ます。
遺族の方が健康のことで来れないので
、代わりにお参りに来ましたと話されました。

              23回生の花輪がテント越しに見える。

左から、久保田、小畑     国重   の諸兄

左から         塚本         久保田     大田      小畑      山本(定) 
これはホームページに世界旅行の写真を寄稿して呉れた三島達司兄の作品です。
額縁入りでぼかしが特徴だそうです。
5人ですが、国重兄は取材のため、ここは欠席です。
話題は、やはり、被爆地の話から、戦後の分教場、
一年経って集まった平屋の仮校舎の話など
あの頃に帰って昔を懐かしんだ事です。
                来年は沢山慰霊祭にお参りして下さい

              
                          第68回広島二中原爆死没者慰霊祭
      
 (平成25年8月6日)
・県立広島二中の原爆死没者慰霊祭は、六十八回目の原爆記念日にあたる8月6日、
1年生全員322人が爆死した広島平和記念公園西側の本川河畔に建つ原爆慰霊碑前で、
遺族、観音高校職員・生徒、同窓会関係者ら約三百人が参列して営まれた。

  「あの日」、全員が爆死した1年生は、一日違いで我われ23期生の”身代わり”
となっただけに、今年も、我われ同期の仲間が多数参列、式場で見かけただけでも、
荒谷、大田、小畑、河田、国重、久保田、新出、刀禰、増田、山根、山本定の諸兄と浅野ら
の顔があった。
 慰霊祭は、午前8時、観音高校生徒会員の司会で開式、平松恵一同窓会長、中川潔校長、
保本愛美生徒会長らの追悼の辞と焼香、溝上喧山師(二中21期)の悼歌朗詠、
観音高校生徒会吹奏楽部、OB合唱団らによる広島二中、観音高校校歌の斉唱と続き、同8時15分、
平和記念公園の広島市主催の原爆死没者慰霊式および平和祈念式に併せて1分間の黙祷を捧げた。

 引き続き遺族会主催の六十九回忌追弔法要が営まれ、遺族会の檜田仁会長の挨拶、焼香に続いて、
読経の流れる中、遺族、学校関係者、同窓会員などが、慰霊碑に献花、焼香して冥福を祈った。
花に埋まった慰霊碑の周辺には、23期の花輪もみられた。慰霊碑に刻まれた爆死生徒の名前の中には、
遺族が掛けたとみられる水の跡が幾筋もみられ、改めて追悼、追慕の思いを強くした。
 慰霊祭のあとは、平和公園の東河岸、元安川に浮かぶカキ船「かなわ」で、恒例のミニ同期会。
外国人向けの英語ガイドで多忙な荒谷、所要の増田両君を除く10人が集い、
お互いの近況や被爆当時の思い出を回想、元気で来年2月の同期会での再会を約して散会した。

 カキ船「かなわ」では、毎年8月6日、原爆供養を兼ねて平和祈念式の参列者らを対象に、
広間を開放、冷たいジュース、缶コーヒーなどの無料接待をしており、得意客の久保田君ら
の耳より情報で数年前からミニ同期会 を続けている。
                       (記・浅野 写真録音・新出)


  開式前の風景。右端に本慰霊祭の主催者である生徒会の女生徒の参列者受付の様子が見られる。


            保本愛美生徒会長の追悼の辞(クリックで音声が聞こえます)







   



     21期生 溝上喧山師の悼歌朗詠










古田校長の追悼の和歌「なぐさめの言葉しらねばただ泣かむながおもかげといさおしのびて」の碑

(クリックで音声が出ます)
         観音高校、同OB合唱団による、二中、観音高校の校歌斉唱

                    沢山の花輪、23期生のものも見える
                   当日参列して写真に写っている同期生たち
 
       小畑君 久保田君                          国重君 山根護君

   山本君と、導師  後ろに今回飾られた千羽鶴が見える
    かき船かなわの係留してある近くの河岸にある被爆動員学徒慰霊慈母観音像  

                    恒例のかき船かなわでのミニ同期会
左から  小畑、久保田、浅野、(後ろ左から)河田、山根、国重、山本、新出、(前左から)刀禰、大田  の諸兄

 

  第67回広島二中原爆死没者慰霊祭
(平成24年8月6日)

今年は67年前と同じ様なカンカン照りの日を迎えた。本川の傍の慰霊碑の周りはすっかり、
慰霊祭の準備が整い、約300名もの参列者が並ぶ中で、午前8時より開式、
8時15分の爆発の時間に合わせて、鳴らされる鐘を合図に黙祷を捧げた。同窓会会長、学校長、
生徒会長の追悼の辞が述べられた後、被爆時の校長であられた古田貞衛氏の
「なぐさめの言葉しらねばただ泣かむながおもかげといさおしのびて」の悼歌が二中21回生溝上氏に
より朗詠された。亡くなられた1年生のことを思いながら、この歌を聴くと、いつも涙が止まらない。
この後、観音高校、同OB合唱団による、二中校歌、観音高校校歌が捧げられた。
なお、同期生山本定男兄企画初演による、「レクイエム碑」(二中1年生全滅の記録に基づく)
は観音高校OB合唱団によって、歌い続けられている。

続いて、遺族会による第68回忌追悼法会が行われ、遺族代表の挨拶の後、読経の中、
焼香が遺族代表から始まり、次々と参列者により行われた。
参加した、23回生は、判って居る範囲で、浅野、刀禰、太田、河田、国重、小畑、
増田(忠)高橋(敏)、山本(定)、田淵、新出、の諸兄(塚本含む)等であった。
尚、慰霊祭終了後、恒例の「かなわ」でのミニ同期会が開かれ、昔話に花が咲いた。
                                 (塚本記) 


                     慰霊祭会場
600
      観音高校、同OB合唱団による観音高校、二中校歌の合唱


碑 広島二中1年生全滅の記録(広島TV薄田純一郎氏(二中先輩)制作)に基づき
同期生山本定男兄が企画初演された混成合唱「レクイエム碑」は現在も、
毎年観音高校OB合唱団によって歌い続けられている。長大な曲なので、
序章のみに限定したが、是非全曲を機会を見つけてお聞きください。
尚、youtubeからの転載は投稿者のご厚意によるものです。

23回生の参列者1  左から 国重、小畑、久保田、刀禰、河田、浅野、塚本 諸兄

23回生の参列者2     田淵、          山本(定)  両兄


塚本による献水(トピックスの項参照。金本光司さんからのwhisky flaskが缶ジュースの向こうに見える)

                   23回生供の花輪

                 「かなわ」にてミニ同期会
          後列左から 栗栖、太田、国重、塚本、新出
          前列左から 刀禰、山根(護)、久保田、河田
    今回の写真はすべて新出兄の撮影です。ありがとうございました。





  
         <広島二中・原爆死没者慰霊祭 第66回法要> 
平成23年8月6日)

被爆66年の8月6日午前8時から、広島市平和記念公園西側の本川河岸に建つ
旧制広島二中の原爆慰霊碑前で営まれた。「あの日」原爆の犠牲となった1年生322人をはじめ、
生徒、教職員計350余人の名が刻まれた慰霊碑前には、遺族、母校(観音高校)教職員・生徒、
同窓会関係者ら約350人が参列、8時15分、「平和の鐘」を合図に1分間の黙祷。

遺族代表、観音高校校長・生徒代表、同窓会会長らの弔辞、献花、焼香に続いて、
遺族、参列者らが順次お参りした。
 私たち23期生は、1日違いで“身代わり”となった1年生への慰霊・追悼の思いが強いだけに、
今年も多くの仲間が参列していた。顔を見かけただけで、
雨宮、荒谷、上田、大田、小畑、河田、国重、久保田、栗栖、正藤、 高橋敏、刀禰、新出、前田、文字、山根、浅野ら17人 



     慰霊祭に参加した同級生(23期生)各位


                 23回期生の献花


         <第66回 広島二中・原爆死没者慰霊祭 式典

 
都合でこのほかの時間帯にお参りした仲間もいたはずだから、総勢20人前後か。
慰霊祭の後は、数年前から恒例となっている平和大橋河畔のカキ舟「かなわ」でのミニ同期会。 
外国人観光客向けの英語ガイドボランティアをしている荒谷君、
修学旅行生への被爆証言活動をしている国重君らは、この日が“本番”とあって、
慰霊祭をあとにしたが、付記した写真の11人が、ミニ同期会に参加。
昨年まで常連だった高橋正明君(7月急逝)の追憶や被爆当日の逃避行の体験などを語りあった 

 

  
  後列(左から) 新出    河田、    文字、    山根   、栗栖   正藤
  前列(同)  小畑、   久保田        浅野  、 大田、   刀禰


        
          <広島二中・原爆死没者慰霊祭 第65回法要>   (平成22年8月6日)

 
被爆65年の8月6日午前8時から、広島市平和記念公園の西側・本川河岸に建つ
旧制広島県立二中の原爆慰霊碑前で原爆慰霊祭が開かれ、原爆の犠牲となって
爆死した1年生322名をはじめ、教職員、生徒約350名の遺族、
母校(観音高校)教職員、生徒、同窓会関係者ら約300人が参列した。
被爆65年とあってか、遺族席の参列者が年々、減っていくのも歳月の
うつろいを感じさせた。 




 
あの日」私たちと1日違いで、”身代わり”となって爆死した
1年生への慰霊・供養の想いが強い我われ23期生は、
例年遺族に次いで多くの仲間が参列しているが、今年も確認できたものだけで、
大田、小畑、小出、久保田、国重、栗栖、高橋敏、高橋正、前田、山根、浅野らの顔があった。
 このほか都合で時間をずらして慰霊碑にお参りしたものもいたはずだから、
20名近くの仲間がお参りしたと思われる。 慰霊祭の閉式後、都合で帰宅した高橋両兄を除く9人は、
平和大橋東詰めのカキ船「かなわ」で、恒例のミニ同期会を開き、「あの日」の体験談などを語り合った。 



   (後列 左より)   国重    浅野    小畑    太田     新出
   (前列 左より)   栗栖    山根    久保田    前田  (の諸兄)
              <かき舟 かなわ にて〜

 
        
          <広島二中・原爆死没者慰霊祭 第64回法要> (平成21年8月6日)

 64回目となる母校の原爆忌法要は、6日午前8時から
広島平和記念公園西側河岸の母校慰霊碑前で開かれ、
我われ23期の仲間も12人が参列した。

 「あの日」我々と一日違いで原爆の犠牲となつた1年生全員を含め、
広島二中の生徒・教職員ら350余人の名が刻まれた慰霊碑前には、
遺族、母校教職員。生徒会、同窓会関係者ら約300人が参列、
8時15分の黙祷に続いて、同窓会の中本名誉会長、母校・観音高校の杉原校長、
花村生徒会長らの追悼の辞、遺族、参列者の供花・焼香、
母校生徒会員らによる二中・観音両校の校歌が流れるなかで、
厳粛なうちにも盛大な慰霊・追悼の会を終えた。 





   


  

この日の慰霊祭で確認できた23期の顔ぶれは12人。加齢による体調不良もあってか、

昨年に比べ5人減となったが、  “身代わり″となつて死んだ1年生を悼んで、昨年から
「二中23期」の花輪が供花されており、この花輪をバックに同期の仲間の記念写真を撮った。




             <23期卒業生献花の花輪を囲んで>
 後列左側より高橋(敏之)・河田・久保田・小畑・国重・高橋(正明)・(一人置いて)栗栖
 前列  〃  新出・浅野・大田・山根の諸氏 

 

 慰霊祭の後は、平和大橋河畔のカキ舟「かなわ」で、恒例のミニ同期会を開き、
所要で欠席した河田、山本両君を除く10人が懐旧談に興じた。

 なお同日の二中慰霊祭の模様は、同日8時からの「原爆死没者慰霊・平和祈念式」
(NHK)のテレビ中継でも放映され、7日付け中国新聞の朝刊でも報道された。
                                ▽  ▽

 我われ二中23期の関連ニユースといえば、7日付け中国新聞朝刊24面の
「広島圏域」版に、「鎮魂の祈り厳かに」「双子の弟慰霊 思い深く」の見出しで、同期の竹田国康君の記事(約70行、
4段写真付き)も大きく載つている。竹田君は、山口県下で中学校の教員を勤めた後、山口県被団協会長を勤めており、
山口県の遺族代表として、原爆死没者慰霊・祈念式に参列したという。

 紙面に載った翌日、竹田君に電話したら、「平和祈念式のあと、
二中の慰霊碑にもお参りしたのだが、同期の仲間がいたとは……」と残念がっていた。 
                           (浅 野)




       平成21年、翌8月7日の中国新聞に掲載された、竹田国康君の写真と記事



             広島二中23期同期生 第63回原爆忌法要 (平成20年8月6日)

  

 被爆63年目の広島二中原爆慰霊祭は、8月6日午前8時から、平和記念公園西河岸の母校慰霊碑前で
、遺族・母校教職員・生徒会・同窓会関係者ら約三百人が参加して、厳粛なうちにも盛大に行われました。

慰霊祭には、われわれ23期の仲間17人(確認できた者)も参加、
「あの日」一日違いで犠牲となった一年生の冥福を祈るとともに、慰霊祭後、
有志が元安河畔のカキ船「かなわ」に移動、加齢にともなう持病を忘れて懐旧談
のひとときを過ごしました。

 当日の参加者は、浅野、大田、小畑、河田、国重、久保田、来栖、高橋(正)、
高橋(敏)、堤(洋)、刀祢、新出、前田、増田、文字、山根、山本(定)の諸兄
(五十音順)で、所要で中座した堤君ら数名を除いて、慰霊式後、記念写真を撮りました。

 慰霊祭に初参加した栗栖君は、「教職にあって皆実有朋の慰霊祭にも何度か参列したが、
二中の慰霊祭がこんなに盛大・厳粛とは知らんかった」と感激していました。
なお同期会の会計担当・大田兄の気配りで、慰霊碑前には「二中23期」の花輪も飾られました。

 カキ船「かなわ」は、四国遍路の”おせったい”にあやかってか、
ヒロシマ巡礼の参拝者を対象に、無料で座敷を開放、冷たいペットボトル飲料を提供する
ピースボランティアを続けており、常連の久保田君の情報で数年前から、
もうひとつのミニ同期会として定着しています。この場を借りて、
「かなわ」さんに感謝。来年もまた、元気で再会したいものと願っています。



    

 第63回広島二中24期生原爆忌法要(1)


第63回広島二中24期生原爆忌法要(2)


第63回広島二中24期生原爆忌法要(3)
   後列向かって左より 新出・栗栖・高橋(正明)・国重・高橋(敏之)・小畑・前田・大田・山本の諸氏
        前列向かって左より 河田・山根・久保田・文字・浅野  の諸氏

第63回広島二中24期生原爆忌法要(4)
     向かって左より 山根・新出・小畑・浅野・国重・高橋(正)の諸氏


         広島二中23期同期生 第62回原爆忌法要 (平成19年8月6日)

第62回広島二中24期生原爆忌法要(1)
    第62回広島二中24期生原爆忌法要(1)

  老師 山下君(23期生)参加者(左より) 国重/高橋(敏之)/浅野/河田/前田(老師の右から)久保田/太田/小畑/高橋(正明)君 (写真撮影者 新出稔雄君) 
 第62回広島二中24期生原爆忌法要(2)
 第62回広島二中24期生原爆忌法要(2)




原爆慰霊祭


     「被爆60年目、平成17年の慰霊祭」
去年より1万人多い約5万人の方が追悼の式に参列されました。

慰霊碑前にお集まりの方々


我が母校の式場を観音高校の生徒さんが準備されています


8時15分黙祷後、犠牲者への法要がはじまった。


法要終了後、同級生も大勢参列していましたが、
次の用事が有るので、と散会し、
暇人のみが、金輪という牡蠣船で無料接待を受けた時の写真です。



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