旧制広島県立第二中学校23期生 ポプラ会のホームページ

     朗 報 ・ 訃 報
     
平成29年(2017)
<訃報>

3月3日  堤 洋二君が逝去されました。


 

   平成28年(2016)   
<訃報>


7月5日    柳田 文爾君が逝去されました。

6月7日     重見 三士君が逝去されました。
 
    5月3日     脇地 二三君が逝去されました。享年84
 
 4月?日    頼 正夫君が逝去されました。     
    
     2月2日     田中 純夫君が逝去されました。      

 10月30日     山根 正則君が逝去されました。


 

   平成27年(2015)
   <訃報>

         6月16日     宮本 克彦君が逝去されました。    

    1月29日     桜井 利大君が逝去されました。

    6月27日    谷原 久資君が逝去されました。 
                 
  4月15日   井上 雅樹君が逝去されました。

           7月21日   吉原  千秋君が逝去されました。       

  7月20日   竹野下貢君が逝去されました。


    3月23日   中神義三君が逝去されました。  

  1月24日    山本正隆君が逝去されました。

     山本正隆君への 追悼の辞
 平成27年1月24日、最愛の友、山本正隆君が亡くなりました。脳梗塞発症以来、約10年、
治療とリハビリに専念され、懸命の努力の結果、手足の不自由さは残りましたが、全般的には、
かなり快癒されていたのですが、今年に入って、文字通り薬石効なく他界されました。
山本君とは、私が昭和20年4月大阪から、二中に転入して以来、ながいながいあいだのつき合いでした。
毎朝、向洋駅から故薄田君と3人で通学したものでした。
 私が転入した4学級では、彼は「ポパイ」というニックネームで親しまれていました。
風貌といい、性格といい、「ピッタリだな」という印象でした。
その印象は70年たった今も変りません。口数は多くなく、まじめな努力家で、
目標に向かっては、初志貫徹、頑固なまでの頑張り屋でした。今日の輝かしい功績はその勤勉のたまものです。
とにかくよく勉強されました。中学、高校時代、試験の前日には、青崎のお宅へよく泊まらせてもらい、
いっしょに徹夜したことを思い出します。
 仕事のみならず、趣味においても凝り性そのもので、ゴルフ、カラオケも徹底していました。
カラオケの18番は「シクラメンのかほり」と尾崎豊の「アイ・ラブ・ユー」でした。
どちらも難しい歌です。・・・・・思い出は尽きません。今は、病院はご長男が継いでおられます。
 ご次男も奥様もお医者さんで、その点では何の心配もなく逝かれたと思います。
 心からご冥福をお祈りいたします。
                     杉之原 正純

                
    心より哀悼の意を表します

     今年度より新しく逝去の報に接した同期生のお名前を順に上段に追記させて頂く事にします。
 
 平成26年(2014)
 <訃報
 1月19日 下岡哲郎君が逝去されました。
             
膵臓がんで昨年11月入院、すでに末期だったとの事。奥様から。
     5月16日   佐々木信昭君が逝去されました。

                   5月20日  横奥宣男子君が逝去されました。                          
                     7月26日   山中邦生君が逝去されました。                         
                      10月30日  三島達司君が逝去されました。                               三島君を悼む。                              浅野温生
三島達司君といっても、エッ、そんな奴がいたかいな、という同期の仲間も多いかと思う。小生は家も近所で、皆実小学校の同窓、そして原爆投下の8月6日、作業をサボって蒲刈の祖父の処へ行っていた私が、翌7日、頬に風船のような火傷をしていた彼に会った強烈な印象がある。
小学校時代から親しい友人のひとりだった。彼は小学生の頃から鉄道模型のマニアで、中学に入ってからは、まだ珍しかったカメラを持ち、どっちかといえば、ぼんぼんでナルシスト?の傾向もあった。被爆、敗戦の混乱期を経て、高校再編後、皆実高校で1年、共に学んだが、彼は東京の私大、私は地元の広大に進学、卒業後、彼は外資系の会社に就職、海外出張の多い暮らしだったようで、付き合いも疎遠になったままだった。昔の絆が復活したのは、二十年近く前、お互い定年後のことだった。

定年後の彼は、悠々自適、セミプロ級のカメラマニアで、8ミリビデオ携行の奥さんと、オシドリ地球歩きの趣味暮らし、添付写真の通り世界の5大陸、数十カ国を撮影旅行し、その都度、DVDを送ってくれるので、海外DVDの数は32枚、添付写真(トピックスの欄に掲載)のほかに国内旅行のDVDも数十枚ある。送ってくれたDVDを見ながら、宝くじにでも当たったか、思いがけぬ遺産でも転がりこんだか…とやっかみ半分、羨んでいたのだが…。

二、三カ月前、「肺癌が見つかった。抗癌剤を飲みながら入退院している」とのメールが届き、その後、暫く音信不通となり、メール仲間の塚本兄と「どうしたんかなあ」と話していたら、十月十二日、「自宅療養していたが、急性肺炎となったので入院中」のメールが届き、あとを追うように、十一月の二十日、奥さんから喪中葉書が届いた。驚きとショックで遅ればせながらお悔やみの手紙をさしあげたが・・・。まさに人生無常、ノー天気な老生も改めて命のはかなさを実感した。       ポン友よ、安らかに眠れ! 合掌
     関連記事をトピックスに掲載しています。(管理人)
                                       
     12月24日   荒谷勲君が逝去されました。
    追悼の辞
 この人の訃報を書く位つらい事はない。
平成25年度同期会には開会の挨拶をして貰って居り、どこにも不自然な所は無い様子だった。
しかしご本人としては、我々には判らない何かを感じておられたれたのだろうと今にしては思う。
昨年3月、2週間の検査を受けるため県病院入院された。その結果、メールで洋酒の会のメンバーに連絡があったのは、難病であるあるとの医師の診断であった。当初の対病計画としては、投薬と長期療養入院のための病院の予約だった。
しかし、新洋酒の会と彼が命名した洋酒を楽しむ会は続けるといって彼のマンションの集会室で4月から再開した。
 究極の到達点をご本人が明確に宣言された以上、我々としては、何も言える状況ではなかった。男の覚悟を聞いた思いであった。
今まで通り、ごく普通に接してあげる事が、彼が一番望んでいることと暗黙のうちに皆が了解して、内心不安を持ちながら、新洋酒の会を続けたのであった。秋頃から、体調の不調を訴えながらも、新洋酒の会を続けたいですと言い続け、マンションの集会室の予約を続けて呉れた。
12月22日が2014年最後の洋酒の会になるはずであったが体調不調で中止となったので24日に国重君が見舞いに行って、当日早朝急逝されたことを知った。
今にして思うに彼にとっても、新洋酒の会は心の支えの柱の一つであったのではないか、そうだとしたら我々会員の心も少しは安らぐのであるが。(塚本)
(会葬御礼の挨拶状抜粋(奥様)より
 夫は、中国塗料(株)に定年まで勤めさせていただき、現役時代は、海外出張も多く、その時の語学経験を生かして、退職後は、ヒロシマを訪れる外人観光客の方たちを対象に、平和記念公園や平和大通りの慰霊碑を案内しているおられる仲間たちと一緒に、ボランティア・ガイドをさせていただき、二中時代の被曝体験なども語りながら、核兵器廃絶を訴えてまいりました。
また若い時からクラシック音楽、オペラ鑑賞に心を寄せ、とりわけワグナーに心酔しており、本場のオペラ鑑賞のため、二度もドイツを訪れております。
家庭では子煩悩で孫たちを可愛いがり、一緒に遊んだり、映画に連れて行ったりもしておりました。
穏やかな人柄で、町内会の役員なども積極的に引き受けたり、人様のお役に立てることが喜びだったようです。
数年前から、言語障害の症状などが進み、急性肺炎で入院して間もなく十二月二十四日、八十三年の生涯を終えました。
生前のご厚情に御礼申し上げます。                      
(彼の同期会とホームページ対する功績について、トピックスの欄に紹介します。管理人)
            
          12月26日   小崎二朗君が逝去されました。       

                  心より哀悼の意を表します
    
               平成25年(2013年)  
                  <訃報>                       
                      
             3月8日 中村 忠之君が逝去されました。81歳
             追悼文が「お知らせ」ページに寄せられています。

             3月16日 前田 典生君が逝去されました。81歳  
             在職中から県美展、新制作展などに入選、翠町中の校長などを経て              
            、定年後は中国新聞情報文化センターアルパーク教室の油絵講座の講師
             をされていました。数年前から体調を崩し、入院生活でした。(浅野記)            
     
             3月30日 大洲 英司君が逝去されました。81歳

             5月29日 山縣 勝君が逝去されました。
 
            8月7日 梅田 良一君が逝去されました。 82歳 
 
                                                      
            10月7日 古田 幸憲君が逝去されました。 82歳
             
  広島信用金庫を退職後、地域の福祉協議会に参加して、大いに活躍されて、周りの人望が大変高く人々に慕われていた。葬儀の際も多数の参列者が集まられた。心臓の手術など病にも見舞われたが、最期は肺炎で亡くなられた。 (中尾計三兄談)
            
             11月24日  網本  実君が逝去されました。82歳
                 
             12月13日 堤  正敬君が逝去されました。82歳
                  
                
心より哀悼の意を表します


     
 
               平成24年(2012年)
                         
                 <訃 報
         
             ★1月3日 沖田 郁男君が逝去されました。                             
             ★3月19日 伊達 孝雄君が逝去されました。           

             ★4月6日 加賀谷禮三郎先生(英語)が逝去されました。103歳。          
            
           ★日 大村 文君が逝去されました。81歳        

           ★8月10日 羽仁俊雄君が逝去されました。80歳

           
           ★815日 長沼 潤一君が逝去されました。

            
            ★11月4日 薄田昭二郎君が逝去されました。81歳

11月6日午前10時から、広島市東区中山の仏光社ロゼア・ホールで、浄土真宗大谷派・円光寺住職を導師に営まれ、東京商船大学卒業後、飯野海運など海外航路の船会社に永年勤務した故人の経歴をうかがわせる友人・知己や地元・温品地区の住民ら多数が参列、二中同期の塚本、上田、川崎、浅野らも参列しました。
故人と親交のあった杉之原君は、当日、病院の予約があり、前日のお通夜に参列、体調不良で葬儀に参列できなかった山本正隆君からの弔電も披露されました。
喪主・冨美子さんの話では、81歳の誕生日を迎えたた8月20日の翌21日、脳梗塞を発症、その後、一進一退の病状を続けていたとのことでした。

なお父君の薄田太郎さんは、戦前のNHK広島放送局のOBで、昭和24年、当時の「夕刊ひろしま」に「夢の盛り場」と題して、古きよき時代の城下町・広島の盛り場、風俗、地名の由来、たたずまい、人情などのエッセイを、連載したのをはじめ、「夕刊ひろしま」を合併した中国新聞の夕刊でも「がんす横丁」のタイトルで十数年余も長期連載を続けた著名人で、「がんす横丁」は、「がんす夜話」とも4巻シリーズで中国新聞社から出版されています。
また長兄の純一郎さん(二中20期)は、広島テレビ放送の報道制作部長時代の昭和44年夏、原爆の犠牲となって全員が爆死した広島二中1年生の記録を「碑」のタイトルで特集番組にまとめ、同年度の文部省芸術祭優秀賞を受賞されています。(浅野記)




              心より哀悼の意を表します
   
              平成23年(2011年)
                <訃 報 

              ◎1月28日 網谷 和典君が逝去されました。
               
             ◎2月3日 宇川
 邦男君が逝去されました。
             
              ◎6月20日  岡田 俊彦君が逝去されました。
           
              ◎7月11日 高橋 正明君が逝去されました。
 
              ◎7月31日 河野 則行君が逝去されました。

              ◎9月29日 和多利 金次君が逝去されました。

              11月3日 正藤 英夫君が逝去されました。 

  11月5日、海田セレモ会館で葬儀があり、同期の塚本・国重・栗栖・脇地・浅野が会葬、冥福を祈り ました。
 自宅で転倒、頭部打撲が死因だったとか。
  正藤君は、サンスターを定年退職後、郷土の瀬野にUターンし、瀬野川流域郷土史懇話会のメンバ ーとして、郷土史の発掘、収集、編集などに努め、ゆかりの万葉歌碑や行乞の俳人・種田山頭火の句碑などを建立するなど、地元・中国新聞紙上で報道されました。
  随筆集 「 時のせせらぎ・ふる里山河の日々」「続時のせせらぎ・いのちの山河」なども刊行していま す。
  また毎月1回、中村 忠之君宅で、同期の有志(中村、国重、荒谷、塚本、栗栖、正藤、浅野)が集う
 「洋酒を楽しむ会」の常連でした。
  
             ◎12月19日 田丸 正夫君が逝去されました。
   
平成23年9月、1年3学級クラス会近況に「8月29日(月)から近所の接骨院にて治療、腰を中心にし  ます。乱文にて失礼します。」というご返事を頂きお元気だとおもっていましたのに。
      
          心より哀悼の意を表します

  
                       平成22年(2010年)
                   <訃 報 

  ◎中村 毅生君が2月21日に逝去されました。

  ◎高橋 恒三郎君が3月7日に逝去されました。

  ◎藤岡 良信君が 5月4日に逝去されました。

  ◎指田 勢郎君が 7月3日に逝去されました。

  ◎山村 叡君が 7月19日逝去されました。

          心より哀悼の意を表します

  

                       平成21年(2009年)
                   <訃 報 


  2月18日 5学級の奥窪 x造君が逝去されました。

  ◎3月 2日 4学級 ケン 中野君が逝去されました。
   (詳しくは本ホームページの『掲示板」をご覧下さい)

  ◎3月26日  中村 博美君逝去されました。

  ◎10月19日  徳永 邦彦君逝去されました。

  

                          平成20年(2008年)
訃 報
  ◎荒谷 拓宏君 (1月1日) 

 ◎調子 寛久君 (1月13日)

 ◎石田 義起君 (1月15日)

 ◎沢崎 忠男君(沢崎産婦人科病院長) (8月6日)

 ◎西本忠義君(3月7日)
   ご存じのように西本君は、バレー部のエースアタッカーとして大活躍しました。

  ◎藤川 安弘(4月2日)

 ◎佐伯栄三君 (元宮崎大学教授) (6月11日)
    今年の同期会に出席、乾杯の発声をされたばかりでした。謹んでお悔やみ申し上げます。

  ★恩師 中沢 清先生(6月3日)が逝去されました。享年81歳。
     中沢先生は、我々の同期会には平成18年度まで出席されていましたが、
     19年以降は体調不良で欠席されていました。
     心よりお悔やみ申し上げます。

 <勝手ながら、故沢崎・石田・調子の3氏に中村より思い出の一言…>
 ◎ 沢崎 忠男君
  なぜか仲がよくてよく的場の自宅に訪問、個室がある環境に一驚した思い出があります。
 ここではよく杉之原君と一緒に談笑したものです。
  (もう時効ですが)彼は観音高校のバレー部に残りたくて、我が家を居住地にしたことを懐かしく思い出しています。
 
 2008年、奇しくも63回原爆忌当日(8月6日)、同期沢崎忠男君(沢崎産婦人科病院長)
 が、大腸ガンで逝去されました。2月の同期会への返信ハガキで痛めていた大腿部も治癒し
て、仕事や好きなゴルフにも復帰できるという近況だったということのに、はかなさを痛感します。

 ◎ 石田 義起君
 青島(チンタオ)から帰国した石田君は、スポーツ万能選手でしかも学業優秀だった。よく海田?だったかの自宅に遊びに行って、お母さん手作りのギョウザをご馳走になり、世の中に今ない美味しいものがあるかと驚いたことが懐かしい。
 一緒に基町高校に遊びに行った際、ひどい胃けいれんに襲われ、真夏だったにもかかわらず、近くだった主治医の病院へ、汗みどろになって担込んで貰ったことは忘れられない。

 ◎ 調子 寛久君
 かつて購入して貰った中村の『乱世の縄文』が、調子君の岳父故吉田元七翁の目にとまって、大いにお引き立てとご教示を賜り、勝手に名誉塾長になって戴いた経緯がある。
 わが縄文塾の有力スタッフマツダのOB金子氏が、調子君のご子息の先輩だったこともあって、なんども訪問した記憶がある。
 以上3氏に、心より哀悼の意を込めて…   (中村 忠之 敬白)。

 

 

             <朗 報>

       叙勲おめでとうございます!
 2008年春の叙勲(4月29日)で、同期の中尾計三君(元松江貯金事務センター所長)
が「瑞宝小綬章」を受章しました!(トピックスの欄参照)
        
   

        <朗 報>

    叙勲の栄誉 おめでとうfございます!

◎平成16年4月
    永井 正三郎君    旭日双光賞 (食品功労)
         (元全日本パン協同組合連副会長)
◎平成15年11月
    泉 敏博君         瑞宝双光賞 (消防功労)
◎平成14年4月
    勝田 主計君      勲五等 瑞宝章 (郵政事業)
    桜井 利太君           同    (建設行政)
    平本 善一君           同    (児童福祉)
◎平成13年11月
    溝西 護君       勲四等 瑞宝章 (教育功労)
◎平成9年4月
    ケン・中野 昭君    ジェファーソン賞 (在米・被爆者運動) 



   <訃 報>  

  
 謹んでご冥福を祈ります

                 (平成11年〜平成19年度までを掲載しています)


                      <平成19年度>
                    岡本 廣治君 (11月11日)
                    真末 武君  (12月 3日)

                       <平成18年度>
                   吉田 茂夫君 (1月27日)
                   原  正治君 (2月12日)
                   佐藤 文男君 (12月22日)
                   高丸 智晴君 (12月28日)

                       
<平成17年度>
                   泉  俊博君 (2月20日)、
                   岡田(吉岡)宏君 (2月20日)、
                   高松 弘道君 (4月14日)

                       
<平成16年度>
              恩 師 棟田 洋先生 (平成16年1月)
                   大石 正孝君 (2月 9日)
                   岩原 襄二君 (4月18日)
                   堀川 年夫君 (8月27日)
                   的場 政敏君 (11月25日)

                       
<平成15年度>
                   川原 隆君  (1月 2日)
                   蔭野 光春君 (1月12日)
                   醍醐 英昭君 (10月23日)
                   木下 庄治君 (10月23日)

                       
<平成14年度>
                   高橋 宏司君 (1月 2日)
                   高尾 宏君  (1月18日)
                   山崎 清康君 (2月 6日)

                       
<平成13年度>
                   世良 盛吉君 (2月 8日)
                   中下 正之君 (5月28日)
                   外輪 義彦君 (7月 6日)
                   江上 悦夫君 (11月14日)
                   岩井 博道君 (12月 1日)

                      
<平成12年度>
                   美能 治雄君 (12月27日)

                      
<平成11年度>
                  三川 英治君 (1月11日)

     
            石谷 義嘉君 (2月10日)
                  堀川 快二君 (7月21日)
                  沖田 憲彦君 (10月15日)

           
        


ポプラ会のホームページへ